妄想作家が考える近未来の日本社会〜教育編〜
よく突っ込まれることだが、『妄想作家、妄想しないの?』
しますよ。妄想作家ですから。
ということで、今日はそれっぽいタイトルだが、恐らく皆さんの期待に応えれる内容ではない。
私がする妄想は、あくまで実現可能なイメージである。
近未来と言うと、まずどれくらい未来か?と言っても3〜5年ぐらいである。
つまり東京オリンピックが終わった後、日本社会の変化である。
東京オリンピック後、世の中は変わっているが変わった様に思わない。
この世界に住む我々は日々変化を感じているようで感じてない。遠く離れた【過去】と比べて初めて変化に気づく。
簡単な話で言うと、携帯電話がスマホが普及したことは5年前と比べないとわからない。
昨日今日でスマホが普及したとは普通は思わない。
変化を感じれる人間は、変化を意識している人間だけである。
変化を意識している人間は当然未来予測の意識もあるわけで、時代の流れを読んでいるはずである。
軽い気持ちで書いたが、気づけば規模のデカイ話になりそうなので、的をしぼりたいと思う。
とりあえず【教育】である。
最近教師がいじめをしているというニュースが公になったが、これは氷山の一角である。
全国各地で今後大なり小なり出てくる。
子どもが自殺をしたのが、ニュースにならないと同じで取り扱えないぐらいの量になる。
マスコミが報道するのは、その時々に裏でもみ消したいニュースがある時だけや放送するものがない時である。
学校現場は、我々が学生だった十数年前と比べても多忙になっている。
ゆとり教育の失敗と同時に社会環境の変化(家族の形の変化、核家族やシングル家庭の増加)に泡ぜ技をくらって、現場の教師たちは手いっぱいである。
また、公務員という仕組みから一定の変化に耐えれない人たちの勢力や、何となく教師をやっている人間の増加もきれに化学反応をして、向上心を持った子どもたちを育てるハズの現場は、向上心のある教員を精神的に追い込んでいる。(もちろん、全員がそうという話ではないが、そんな流れになっているということである)
学校現場では、次々起こる問題に解決ではなく対処することしか出来ないのである。
ちょっとやらしい感じに書いたが、学校現場の悲壮感は否めない。子どもの数が多いところほど、問題も多いので、実は田舎の方がまだ状態は良かったりする。
ここからが、私の妄想である。
学校現場は勉強を教える機関ではなくなる。本当の意味での人間形成をする場になる。
勉強は完全にサテライト授業やオンラインなど、かなり均一化される。学歴社会はなくならないが、学歴がなくてもやっていける時代が既に出来ている。もちろん学歴があるに越したことはないが、優先順位は明らかに下がる。ここから先の時代は誰もが経験したことのない時代である(当たり前だが)。
新しいことが創れることが重要である。もちろん人に役に立つことで。
便利な世の中は、考えることを奪う。
いかに普段から考える習慣があるかどうかが肝になる。
あなたは普段から考えることが出来ているか?
教師の役割は完全に変わる。
今の教師の関わり方は変わる。
当然、子どもの質も変わる。
今話題のN国党が訴えてる既得権益が全てのKeyとなる。
このままN国党が支持を増やしていくとこの流れは加速していくだろう。
時代の変化にチャンスを掴める人は、今がまさにそのチャンスが来ている。
私も含め、これからの世界はチャンスに溢れている。
チャンスを掴むことにチャレンジして人生を楽しみたい。
☆Everyday Reborn☆